火星から降りて来た原子心母

 

このブログのタイトルにある'Atom Heart Mother'は、UKロックの大家・ピンクフロイドの曲からとってます。邦訳だと「原子心母」です。直訳ですが、わけのわからない凄みを感じて、こちらも好きですね。

'Dr.Strangelove'につけられた「博士の異常な愛情」というひんまがったどストレート(!)邦訳も、人々の関心をひきつけてやまないという点ではまさしく名訳ですし、変に考えすぎない方が良いこともある、ということでしょうか。

 

'from Mars'はデヴィッドボウイをモチーフにしてます。火星から降って来たジギー・スターダスト。彼もイギリス出身ですね。

この2つを組み合わせたのは、何となくです。好きなもの2つ組合わせました、みたいな。えらい字面になってしまいましたが。

 

ゼミでイギリスの法と社会について調べていた時に思ったのですが、私、思ったよりイギリスが好きみたいで。

王室があるのが大きいのかな。ロイヤルなものに弱いから。それも、クイーン。

ヴィクトリア朝時代のパックス・ブリタニカなんか、経済も、ファッションも、どこをとっても全盛期。「イギリス人は過去の栄光にしがみついて高慢ちきになっている」と言われても納得できる。

 

そういうロイヤルなものが好きな一方で、ヴィヴィアンウエストウッドのファッションも思想も好きだし、UKロックも好き。特にディープパープル。

…でも、思えばヴィヴィアンも、イギリスの海賊や古い時代のコルセットをモチーフにしてそれを新たにアレンジしているし、ピンクフロイドやディープパープルも、クラシック音楽に通じる和声進行が彼らの深みを醸し出している。

やっぱり、根底にはロイヤルなものへの敬愛があるのかな。こういうところが日本と通じるんだと思う。まあ結局日本に立ち返る。私は日本の繊細でとんちんかんなとこが大好きです。

 

書くことがないので、とりとめもなくなってしまった…今日はこのへんで。

荒川アンダーザブリッジ

私、よくそんなこと知ってるねえと言ってもらえる機会があるのですが、そういう知識って、幼い時に読んだ漫画から取り入れたものも大分多いんですよね。そもそも、ネット界隈で俗に言う「厨二病」設定も、例えばキリスト教や神話をモチーフにしていれば、そのルーツを知ろうか、という具合に、意欲的に学ぶようになるんです。

そりゃ、漫画から悪影響がある側面も否定しませんけど、そんなの小説だって映画だって同じなのです。大人達は、有益な部分まですべて捨て去るよりも、情報を取捨選択する能力を身に付ける術を模索した方が良いのではないでしょうか。

 

とまあ、そんなことを考えていると、久しぶりに漫画が読みたくなったので、『荒川』を引っ張り出してきたのですが、やっぱり、おもしろいです。

ぶっとんだキャラクターや設定、ギャグとシリアスの絶妙なバランス、表紙や巻末漫画にみられるような色彩感あふれるセンス…

キャラクター達が語る人生観みたいなものが、普遍的なものか、良いこと言ってるのか、そんなことは二の次でよくて、それを受け取った読者が、自分はどうなんだろう、自分はこういう時何を言い何をするだろうと、考えさせてくれるような力がそこにあるのが、大事なんじゃないかと。

フィクションでは、リアリティがあることも1つの魅力になりますが、突拍子もない設定でありつつも現実とのリンクをにおわせることで、架空の世界として笑いつつも、現実だったらどういう違いが生まれて…と、シミュレートさせてくれる、という部分が、最大の魅力ではないかなと思っています。

 

作者の中村光さんは、これらより前に『中村工房』という短編集を出版されているのですが、その頃から独特の笑いやキャラクター設定を持っていて、大ファンでした。

『荒川』では、その短編の中でのキャラクターを元にキャラクターが作られていて、知らなくても楽しめるけど、知っているともっと楽しめる、という感じです。

絵柄が今よりも安定してないですが、『荒川』がお好きな方なら、一度お読みすることをお勧めします。

 

余談ですが、幼少期のニノと対峙しているのも、リクの父・積を負かしたのも、シスターが去った後の孤児院の院長をしていたのも、全部河童ですよね。
河童が、リクのおじいちゃんだったりしたらおもしろいな、と思っていましたが、それだと少し若すぎるかな?とか、いろいろ矛盾があって、うーん、…おどらされてます笑

14巻楽しみだな~。

ウォーリーしか見つけられない

保育園の時から小学生くらいまで、地元の小さなピアノ教室に通っていました。
待ち時間には専ら、先生の大きくてきれいなお家にあった、少女向けの怖い話の本や、ウォーリーを熱心によんでいました。
成長しても、相変わらず音楽に携わっていますし、それこそ取り憑かれているんじゃないかというくらい毎日怖い話を読みあさっていますし、先日ウォーリーの新版を手に入れて早速興じていますし、割りとこの時分の経験が原体験になっているような気がします。


今、ウォーリーやその仲間達を探してみると、その設定や造形には相変わらずわくわくするんですが、昔と違って、まあすぐ見つかっちゃうんですよねえ。曲がりなりにも頭って成長してるんだなあと、ちょっと感心してしまいました笑


でも、ふと思いました。
子供の頃は、ウォーリーが見つかるまで、その周りの生き生きと描かれたキャラクター達や国々に目をキラキラさせて、想像力を夢一杯膨らませていました。
一方で、今は、いかに効率よくウォーリーを見つけるかを考えて、周りの素晴らしさに目を瞑ってしまっているのですよね。だから、ウォーリーを見つけても、いまいち子供の頃のような感動はない。


これって、本当に成長なのかなあ。
合理的に生きるという意味ではそうなのかもしれないけど、私は、もしかしたら何か大切なものを失ってしまいつつあるのかもしれない。ウォーリーだけじゃない、目に見えない、大切なもの。


ここまで考えたところで、ちょっと苦い思い出が蘇ってきました。
小学生の頃、毎年開かれる音楽会では、必ずピアノ伴奏の座を勝ち取っていました。
私が6年生の年、ピアノ伴奏者を選考するとき、私の他に2人が選考に残っていたのですが、私達に先生から言葉が向けられました。たぶん、何気ない一言だったんでしょうが、
「Aは優しくて、Bは軽やかで、お前は…もう、な、」
と、とりあえず凄い、といった感じで、言葉が出てきませんでした。


結局、ピアノ伴奏者には選ばれたのですが、当時の私はこれを聞いてひどくショックを受けました。
私の音を形容する言葉が出てこない。私の音は、聴衆にとって何だ?何でもない。どれだけうまく弾けたって、何も伝わらなかったらしょうがない。
他の2人は、何かを残してるじゃないか。


それから、何となく、ピアノから遠ざかってしまいました。
でも、今はまた、オーケストラを通じて音楽と触れ合えていて、音程の少ない打楽器を担当していても(むしろだからこそ)、「後ろから見守ってくれてるような、力強くも温かい安心する音」、と、私が醸しだす音色として感じてくださる方がたくさんいらっしゃいます。
それは目に見えないけど、得難い、とても大切なもの。


子供の頃は、自分では表現できなくて、絵本の中でしか見つけられなかったそれを、せっかく手に入れたのに、今度は絵本の中にすら見つけられなくなって、ただの色褪せた思い出にしてしまうところだった…危なかった。
音楽に限らず、素晴らしいものには素直に素晴らしいと思うこと、それをみんなに伝えること、そういうことを忘れてはいけない、ですね。
こういう世界だと、気をゆるめると見失ってしまいがちなので、大事に大事にしていこうと思います。
押入れの奥にしまってある絵本みたいに。

ひなまつり

以前、某大手中学受験塾にて事務のバイトをさせてもらっていたのですが、それがちょっと特殊で、お偉いさんのおばあちゃまがPCに疎いので、その仕事をお手伝いするといった感じで、塾に勤めているというよりは、おばあちゃまの下につかせてもらっている状態でした。

 

おばあちゃまはとっても優しくて、いつも気遣ってくださって、本当のおばあちゃんのように感じていました。

そんなおばあちゃまも、長年一緒に勤続してきた会長さんがお亡くなりになったこと、自身の年齢もあって、塾を退くことになり、それに合わせて私達バイトも辞めることになりました。

 

それから、やっぱり何となく気になって、お手紙を出そうか出さまいか迷っていた時に、おばあちゃまから荷物が届きました。ひなまつりのおかしに、とらやのようかん。

もう、ひなまつりを祝うことなんて、少なくとも家族ではなくなっていたし、友人とちょっとケーキでもつついてみるくらいになっていたので、肉親のようにお慕い申しあげていた方からのこのような贈りものは、本当に嬉しかったです。

お礼にお電話いたしましたが、お元気そうなお声がきけて、安心しました。

 

私は、過去に属していたコミュニティに戻ること、既に別の人によって成り立っている「場」に出ていくことは、過去の安寧にすがりつくようで、なるべく避けたいと思うのですが、折にふれて、当時の苦楽を共にした「人」と交流するのは、とても良いものだなあとつくづく身にしみました。

場も人も変わる、いつか袂を分かつ日が来るかもしれない、けど今感じるこの安堵感は何ものにも代えがたいし、現在の生活と照らし合せてみて、まだまだがんばらないとって思わせてくれる、とうといものです。

 

おばあちゃまをはじめ、見守ってくれる人がいることのありがたさをかみしめて、恥じない生活を送りたく思います。

'Imagination, HAHA!'

3月3日、ひなまつりの今日、人生初の東京ディズニーシーまで行ってきました。

 

お昼間からお酒飲んで、たいして怖くもないアトラクションできゃーきゃー言って、キャラクターと写真を撮ってもらって、パレードで感動して…

アクティヴでない2人だったので笑、せかせかすることなく楽しめて良かったです。

園内のどこからも外の世界が見えない造り、1つ1つの意匠のこだわり、キャストの方々の訓練されたはたらき…どれもこれも徹底されていて、まさに「夢の国」でした。

 

個人的には、「魔法使いの弟子」のパレードが見れて良かったです。

デュカスの曲は、それ自体も好きですし、打楽器奏者、特に鍵盤楽器が好きな者としては、あのグロッケンは垂涎ものなのですよね~~~

大きなお星の三角帽子を被ったミッキーを中心に繰り広げられる、きらびやかで、ロマンチックで、少しアイロニックな感じもする世界は、観るものをとりこにします。

ミッキーは最後に言いました。「Imadination, HAHA!」アートにしろ仕事にしろ人間関係にしろ、「想像力」って大切だと思います。

 

ディズニーって、いかにもアメリカ的な商業的・精神的象徴だとか、「ダンボ」の世界はウォルト・ディズニーがクスリによる幻覚症状で見た光景だとか、都市伝説チックなものまでいろいろ言われますよね。それだけ世界的成功を収めているということなんでしょう。

実際、そういう面もあると思いますけど、たとえ虚構の幸せだとしても、それが本当にたくさんの人々に夢を与えているとしたら、それはいつのまにか本物の幸せになてるんじゃないかなあ。

ウソがホントになることってあるし、そうなるためになされた努力は絶対的な輝きがある。

 

すっかり洗脳されちゃったのかしら笑

でも、小さい頃の目線で見たディズニーランドの記憶と、高校生の頃の目線で見たディズニーランドの記憶と、今の目線で見たディズニーシー。

それぞれ楽しかったし、しかもそれぞれ別の楽しさがあって。いつまでも変わらぬ姿で夢を提示してくれて、いつ来てもその時だけしか味わえない楽しさを提供してくれて、また来たいと思わせてくれる…そういう存在って、人間にとって特別だと思います。

世界中にファンが多いのもうなずけますね。

 

嬉しさも切なさも強みも弱みも全部綯い交ぜにして、くるっとまとめて、明日への活力のための心のストックにできたような気分です。

良い一日をありがとうございました。

服にまつわるエトセトラ

昨日は、春の陽気は影を潜め、雨模様でしたが、春の雨もまた良いものですね。

買い物の日にしようと思っていたので、足としては少々不便でしたが。

 

神戸で服を買う、となると、必ず寄らせていただくお店が何件かあります。

1つは、「SPACEMOTH」と「fripier ZOETROPE」さん(http://www.spacemoth.org/)。

2つのお店は元町は乙仲通りの同じ建物にあり、お名前の通り映画や音楽をモチーフにした古着や、新進気鋭のデザイナーさん達のグッズを取りそろえていらっしゃいます。

 

そこでどどーんと目に飛び込んできたのが、これ。

http://www.fashionsnap.com/the-posts/2013-05-29/1984-devidbowie/

私の永遠のファッションアイコン・デヴィッドボウイ。

ロンドンの王立博物館で開かれているボウイ回顧展のカタログの邦訳版。

実はちょうど、欲しい欲しいと思っていたもの。食い入るようになめ回すように眺めました…至福…しかも、私が読み始めると同時に、お店のBGMもボウイに。大興奮でした。

どうやら、店主さんのご友人がこちらの邦訳を手掛けたようで、表紙と同じ写真がプリントされた、回顧展の記念トートバッグまで見せていただきました。

 

興奮冷めやらぬまま次にやって来たのが、「Song de Vivre」さん(http://www.song-de-vivre.net/)。

ナチュラルで質の高い衣服や、かわいいアクセサリーにいつもどきどき。

そこでまた出会いが。前々からそこにあった、ユニオンジャックをあしらった指輪に心奪われていたのですが、大きいサイズのものしかなく、購入を断念していました。しかし、そのサイズ違いがあったのです!私の指にぴったりはまってくれました…!

店員さん曰く、私があまりにも欲しそうだったから、売り切れていたけどまた取り寄せたのと…ありがたや…来て良かった~。

 

最後にやって来たのが、「Haberdashery」さん(http://kobe-haberdashery.com/)。

京都にも系列店があるみたいですね。

そこでまたまた出会いが…!

http://d.hatena.ne.jp/haberdashery/20120720

別のお店で見かけてからずっと気になっていたディズニーの「わんわん物語」モチーフのスカート。聞くところによると、1957年にしか製造されておらず、世界中のコレクターも舌を巻くお品だとか。勿論値段も張りましたが…少し早い自分への誕生日プレゼントにしました。一生ものです。

 

最近、欲しいと思ったものがその翌日には目の前に提示されて、少しびっくりしてしまいます。

視野が広がって情報量が増えただけなのかなんなのか…やっぱり、好きやから辿りつけるんかな?何はともあれ、素敵なものに出会えて、喜びでいっぱいです。

こんな素晴らしい作品に見合うような、利発で上品でチャーミングな女性になりたいものです。

 

古着に魅力を見出すのは、それが古いものであるからだけではなくて、現代にはない輝きを放っているから。

モードは繰り返すもので、現代のファッションも何十年後かにはまた同じようなデザインが出てくるはずだけど、それまでの少し先の未来では、忘れ去られる。

でも、素晴らしいものであることには変わりなくて、現代では息苦しさや物足りなさを感じている人の中から、過去に目を向ける人が出てくる。

 

 

小説を読んでても、ああ昔の人も同じことで悩んだりしたんだなあって、共感とか、安心を覚えることってあると思うんですけど、ファッションも同じで、良いと思うものの根底はいつだってぶれないんですよね。

古着を身にまとうって、その変わらないものを、少し違う視点から見せてくれることかなあと思っています。

人とは違うね、ってよく言われるんですけど、むしろ、昔から変わらないものを大切にし続けているのが古着好きの人なのかもしれません。

 

私、自分は突飛なことをしているようで、その実、守られた範囲内でしか逸脱できない人間だと思っているのですが、古着好きなのはまさにその表れかもしれません。

ファッションは自己表現のための手段の1つであり、思想をも表現できるのですよね。その辺はロラン・バルト鷲田清一さんを参照してもらえればよりわかりやすいかなと思います。

 

今は、明日から、このスカートを履いてディズニーを巡るのを楽しみに、眠りにつきたいと思います。

それではおやすみなさいませ。

胎動

Rabbit, Rabbit!

 

これは、月の初めにつぶやくと、その月に幸運が訪れるという、元々はケルトまで遡る、英語圏に伝わるおまじないだそうです。

「ラビットフット」なんて、ウサギの脚をラッキーチャームにするのと、同じ部類でしょうね。
私は、フィギュアスケートジェレミー・アボット選手が、Twitterで毎月一日にこうツイートされるので、そこから知りました。

月初めに覚えてるとまあ、つぶやいてみるくらいです笑

 

今日は3月の始まり。私の一番好きな月です。

自分の産まれ月というのもあるのでしょうが、春のぬくもりと、一抹のせつなさを内包する、そのアンビバレンスがとても魅力的だと思うのです。
暦の上でも始まりですが、私の好きな占星術家・石井ゆかりさんによると、ちょうど新月に入って、まさにあらゆる意味で「始まり」なのだそうです。

…こうしてみると、とても占いを信じる人のようですね笑

もちろん、すべての占いを信じるわけではありませんが、占い師というのは独自の統計をとっている人達だと思っているので、そういう意味では参考にしてみたいところでもあるのです。

 

まあ、それは置いておいて、この始まりのタイミングに、来年度から新たに大学院生として研鑚を積まねばならないこと、その他、諸々の事情から、文章を書く練習になればと、ブログを始めることにしました。
どんな内容でもできる限り毎日書いて、読んでくださる方の目に触れてもらって、文章力を練り、自身の思いの丈を昇華し、もし運が良ければ、誰かに共感を覚えていただければ、と淡い期待を抱いています。

 

良く言えば多趣味、悪く言えば節操がありませんので、あらゆる方面の話題が飛び交うと思いますが、何か1つでもそのお心に届くものがあれば幸いです。

 と言っても、読んでくださる方も少ないと思いますので、専ら独白になると思います笑

 

とりあえず、今日は、ごあいさつがてら、この辺で。