「あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる。」

私の好きな古着屋さんの1つ、東京は高円寺の即興さん。

ファッションには思想や哲学があらわれるんだなあということを、最も強く意識させてくれるお店です。

 

https://twitter.com/sokkyou_web/status/445088607561211904

こちらは本日紹介されていたフロイトTシャツ。くっ…ほ、欲しい…。

ジークムント・フロイト。偉大な精神分析学者。

彼は言いました、「あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる。」

 

至言じゃないですかね。幼い子供が転んで初めてしっかりと歩くことを学ぶように、挫折を経験してやっと、人を本当に思いやることができるようになる。

人の失敗にいちいちかりかりせずに、大きな心で許容する。

許すということは脆弱さから来るあきらめではない、おおらかな強さで包みこんでしまうこと。

 

強さの意味を履き違えて、何でも自分1人で解決してしまおうとすることがある。でもそれは一突きもされると壊れてしまいそうなあやうい孤高の強さだ。

人間が分業がいいって気付いたのは、人それぞれ長所と短所があることを知っていたから。それぞれのピースがうまく組み合わさると、パズルが完成したような喜びが生まれる。

自分の弱さもちゃんと自覚したうえで、お互いにフォローし合いつつ、頑張りすぎないように生きていく。ゆるぎなく、なくてもいい。ぶれてもいい。それが必死に悩んで生きた結果なら。

 

要は、このTシャツがほしいということです!!!!!

安西先生…東京の古着屋さんめぐりがしたいです…

素直

ああ、また日が空いてしまった…せめて1ヵ月は続けたいのに…目標低いかな…笑

自分のためにやってるのに早々に挫けてどうするんだ。自分に負けるなわたし。

 

自分のため、といえば、これって人のためにやってるのかな、それとも自分のため?…と、悩む時がたまにあります。

人の相談に乗るときとか、最たる例かな。相手のことを思ってというよりは、一緒に悩んであげたり助言をしたりする自分に酔っているだけなのではないか、とか。

自分の感情を疑いすぎると本当によろしくないので、考えすぎないようにはしていますが、何をするにつけても常に、「これをして得をするのは誰だ?」と、念頭に置くようにしています。刑事ドラマみたいですね笑

 

また、人のためといっても、何か具体的な解決策を求めているというよりかは、自分を無条件に肯定してくれる救いの手を求めている、ということもあります。

話していると、ああ、今これを言うとこの子は泣いてくれるだろうな…、などと考えつつ、やっぱり怖気づいて、傷つけてしまわないよう当たり障りのない言葉をかけるにとどまってしまったり、逆に、ごめんねあなたの求めている言葉は私には言えないよ、なんて思いつつ現実を突きつけてしまう、なあんてことがしょっちゅう。

うんうんって話をきくだけでいいときと、ちゃんと叱った方がいいとき。きっと、いままでに何回もその判断を誤っている。これからもうまくいかなくて後悔する時が多々あるでしょう。

 

自分のことについてだって自分でもよくわからないのに、わかるわけないよね。

よく、変わってるね、とか、我が道を行くね、とか、言われるけど、自分ではむっちゃ気にしいで、人からの評価ばかり気にしている、と思っています。

とか言ってると、星占いで、「自分ではしたいことをしているだけのつもりでも、周りから見ればその生き方の決断がまず変わっている」とか何とか言われて、ああそうなのかなとか、ほらまた人の言うこと真に受けて…

 

単純。そのくせ意地っ張りで、、、小学生の時の通信簿には、毎年のように素直じゃないと書かれたものです。

さすがに、今となっては少しはましになったんじゃないかな、と思ってますが…どうでしょう笑

素直に。自分のしたいことを。人のためとか自分のためとか置いといて、シンプルにただ思ったことを、必要があればオブラートに包んで伝える。

これだけで十分なのかも、しれません。

Rachmaninoff Piano Concerto No.2

ラフマニノフのピアノ協奏曲2番といえば、映画やドラマでも多数使用されて有名な曲ですが、フィギュアスケート浅田真央選手が今シーズン使用したことで、日本人にはもうおなじみの曲になったかもしれませんね。

私もこの冬は、この曲に縁があったようで、12月には大学オケの方でも演奏しましたし、3月には大学の表現学科(音楽科みたいなところ)の卒業演奏会でも演奏する機会がありました。

 

ロマンチストの気があるらしい私なら、ラフマニノフみたいなのは好きそうに思われるんですが、そうでもないんですよね。同族嫌悪といったらラフマさんに申し訳ないんですけど、ロマンティック、メランコリックが具現化したようなこの音楽を直視するには、私はまだまだのようです。

 

でも、12月の演奏会で、ソリストの方のピアノ、プロの方のそれから受けとる強烈な何かがありました。

今回お世話になった方は、本番前には控室でタバコをくゆらし、本番のドレスも紫にストレートラインで髪型もシックな感じ、「あんまり飾り立てるの好きじゃないのよね」と笑ってみせる素敵な女性でしたが、本番の演奏も、凍てつく風が吹きすさぶ雪原に、曇天の隙間から朝日の光が差し込んでキラキラ光るような、ラフマニノフとしてはあまりねちっこくないものでした。

 

「間」をとりすぎないんです。待ってと言う間もなく笑いながら通り過ぎていく。手を伸ばしても彼女の髪が指先をかすめていくだけで掴めない。だからこそ惹かれるものがある。まさに夢物語のような。

テンポも、肝心な時しか動かない。そのわずかな揺れが、心の隙間に突き刺さる。

音楽が語り過ぎていない。後の判断は聴き手に委ねている。それでいて自分の魅力は最大限に発揮する。

これが、大人の余裕というやつですか…見習いたい…笑

 

この時の演奏会では、メインにチャイコフスキー交響曲第5番を演奏したのですが、みんな頑張ってくれたので、すこぶる評判が良かったです。そして、曲も曲ですし、私のティンパニも派手らしいので笑、ティンパニの評判もすこぶる良かったのです。本番でもホルンソリストの次に立たせてもらえました。えへん。

 

ただ1人、「でもあなたの場合は、ラフ2の方が良かったよね。ロマンチストなあなたのことだから、音をどうやって出すかより、出した後の音をどうコントロールするかを大事にするんでしょ。それが活きるのはラフ2の方だった。」と、ずばり言い当ててくだすった方がいらっしゃいまして…私の敬愛するお方(だからこそ敬愛するのだ)、私のことを最初にロマンチストだと評してくれたのもこの人だった(「打楽器で歌える人は珍しいよ」だって、きゃー!///)、見透かされている…!笑

わかってもらえる人にはわかってもらえる、あー音楽で人に伝えることができたんだって、嬉しくなりましたね。

 

受け取るものが多かったという意味では、ラフ2も、好きな曲の1つになりました。というより思い出の曲かな。ふとしたときに聴くと元気をもらえるような。

浅田さんも、何年後かに聴いて、昔頑張ったことを懐かしみ、誇れるような気持ちになってほしいな。しみじみ。

続・戦場のメリークリスマス

フィギュアスケート選手の安藤美姫さんが、亡くなったお父さんのために「戦場のメリークリスマス」で演技したことがあります。

物憂げで、揺れ動く感情がちらつく、その姿が印象的だったので、私の中ではこの曲は、しめやかな場での心のBGMになっています。

 

3.11の日も、頭の中で鳴り響くのはこの音楽。

もう3年というべきか、まだ3年というべきか…

 

兵庫県に生まれた者として、1.17の震災も同様に思い浮かべられます。といっても、その時はまだ2、3歳でしたが。それでも震災を経験した大人達からの話は小さい頃から聞かされていました。

神戸の抱える経済的損失等はまだまだ回復しきっていないでしょうが、街は活気づいています。山の上にある大学から見晴らせる、青空も星空も、海も街も、4年間ずっと私の心を支えてきてくれました。

 

それでも、まだ、終わってないです。終わらないです。

私の敬愛するある御人、その人のことをもっとたくさん知りたいと思った時に、ふと、その奥さんや義理のご家族のことは耳にするけれども、ご実家のお話はきかないなあと思いまして。

あ、この人神戸生まれだったな。もしかしたら、震災でご両親を亡くされたのかもしれない。年齢でいうと高校生、受験生だっただろうか。K高校出身だっけ。もしかして、私が高校生の時の国語教師が言っていた、震災とセンター試験が重なり、二次試験を控え、大切な誰かを失った悲しみさめやらない中、ボランティアにいそしんだ神戸の学生の1人だったのだろうか、ああ、

 

…などと考えていると、やりきれない思いになりました。

いや、これは私の妄想に過ぎないんですけど、いつも飄々としたその人も、そういうものを抱えていてもおかしくない。その人じゃなくても、別の誰かがこういう事情を抱えている。悲しみがありふれていることが、今だっていつもすぐそばにあるのが、やりきれない。

 

3.11は、1.17より、設備や知識等の進歩はあった、のかな。あったんだといいな。

津波とか、原発とか、新たな事情が出てきたわけだけども。

具体的な援助ができるほど、胆力や財力はないけど、忘れない、決して忘れない。

 

大学で出会った、長崎出身の友人に言われて、衝撃を受けた言葉があるんです。

「広島や長崎の子達は、原爆の犠牲者がどれだけいたか、答えられる。みんなは?答えられないよね。そういうことなんだ。」

こういう場合は、無知は罪、といえるのかもしれません。知ること。目を背けないこと。忘れないこと。二度と繰り返さないこと。やらなければいけない、と決意を新たにしました。

Merry christmas, Mr.Lawrence

あー、2日空いてしまった…どこかで取り戻さねば…

 

ふらっと気が向いて、『戦場のメリークリスマス』のDVDを観ました。

たぶん、名前だけは、あるいは音楽だけは、あるいはビートたけし坂本龍一とデヴィッドボウイというキャスティングだけは、知ってる人が多いんじゃないでしょうか。

ボウイ好きとしては、遅ればせながらという感じです…

 

これ戦争映画じゃないですよ。今風に言うと、BLですか。

ある種、高雅なホモセクシュアルと、死と隣り合わせの戦中における異常な精神状態とをベースに、日本やイギリスの精神の良い所も、悪い所も(こっちの方が前面に出てくるかな)まじえつつ描かれています。

 

最後のシーンが、絶賛されているんでしたっけね。

確かに、中盤でボウイ扮する英国軍人が、たけしさん演じる日本軍人の顔を見て、「変な顔。でも美しい瞳(め)をしている」と評する場面があっての、あのたけしさんの顔は、友情の喜び、あきらめ、懇願、やるせなさ、淋しさ、悲しみ、いろんなものが綯い交ぜになった、絶妙なものでした。

 

個人的には、あの有名なメロディーが、まずいきなり冒頭から流れてくるんだな―と、後世に生まれてくる者なりの驚きを感じました。

作中では大事な時しかBGMが流れなくて、あのメロディーは冒頭と、そして最後にまた回帰してくる。

東洋風かと思いきやそうでもない、ほんと不思議な和音です。ただ、落ち着きます。

劇的かつ静謐なこの音楽、そりゃアカデミー賞も獲りますよねえ。

 

印象に残ったのが、「私は君の秩序のために死ぬのだな」というセリフ。

誰もが正義を振りかざして、誰もが間違っている世界では、きっとありふれたこと…

これ、戦争に限らないと思うんですよ。もっと日常的な(戦争が日常じゃないと言える幸せ!)生活の中で、自分の狭い視野で培われたものさしで相手をはかってしまうこと、巻き込んでしまうこと、貶めてしまうこと、あるんじゃないかなあ。

正しい道を信じるのと並行して、相手の信じるものをおしはかる作業もしなければならない、そうしなければ相手を(社会的に)殺してしまう場合さえある、と、ちょっぴり肝が冷えた感覚。

 

あと外せないのは、ボウイの英国軍人が坂本龍一の日本軍人にキスするところかなあ。

触れるだけの挨拶のようなキス。ボウイが険しい表情なのが良いと思う。精神的にも身体的にもギリギリの中でも、何か他者を少しでも楽にするような力を持っていた彼。

イギリス人に惹かれているという事実を認めたくなかった日本人の心を、敵の心さえも、救ってしまったのでしょう。

美しい、と思いました。

 

余談ですが、「ヘルシング」のヒラコー先生は、この時のボウイのかっこよさをモデルにして、ベルナドットというキャラクターを生み出したそうです。

いやわかります。なんせかっこいいです。坂本龍一も掘れます(あながち誤字じゃない笑)

あなたにとって私もそうでありたい

出来る限り毎日書くって言ったのに、もうくじけそう。

どんな内容でもいいから、書くんだ私。「続けた」っていう事実が自信になることもある。継続は力なりってね。

 

大学の合格発表の季節。いつも苦々しい気持ちになる時期。

前期試験に落ちたことを引きずっているというよりかは、そちらの方はとうに納得がいっているのだけど、年々時間が経つにつれて、周りの人への迷惑をかけてしまったことを実感するから。

 

試験に落ちるのは、そりゃ学力が足りなかっただけなんだけど、事前に期日がわかっている一大事に向けて、自分の弱点を考察し、それをいかに克服し、長所をのばし、万全の体勢で臨むことができるか。知識以外の計画性や忍耐などの、人間力とでもいうべきものが一斉に試されている。

 

何とかなるだろというあてのない自信、それは単に自分の弱点を直視することからの逃避に過ぎなかった、自分の慢心を痛いほど思い知った。

社会的に抹殺されない程度の大きな挫折を味わわせてもらって、私個人としては結果的に成長する機会を与えてもらったのだけど、未熟な私に振り回された親や先生のことを考えると、ああなんて愚かだったんだろうと。

 

後期試験で合格したから良かったもののね。これはもう自分のためというより親や先生のためですよね。喜ぶ顔が見れて心底ほっとしたのを覚えている。

前期試験だめだった人も、気持ちの整理とかつけらんねーよって感じやろけど、それでいいから、前期試験は自分のため、後期試験はお世話になった人のためと思って、最後まで気を抜かずに精一杯取り組んでください。

 

私はこの大学に合格できて良かったとしみじみ思っています。風土、気風、人、学び…すべての出会いがまぶしかった。自分の矮小さを思い知るとともに、世界の大きさと、優しさを実感した。

関西でる気満々やったのに、今はここで腰を据えたいと思っている。人は変わるもんですね。

何も怖くないですよ。自分と向き合うのはちょっと怖いけど、その結果生まれるものが財産になることは変わりないです。今やるべきことをしっかりやりましょう。

 

「僕のことは忘れてあげてくださいね!」

夢を見ました。バイト先である楽譜屋さんでのできごと。

私があるミスをしました。でもみなさん叱らない。おつかれさんと送り出してくれる。なまあたたかい。

ああ、現実にありそうな一場面。

そこの人はみんなやさしい。人に対する余裕がある。でもだからこそ、自分で自分の過ちを見つめなければならない。

 

最近、自堕落な生活を送っていたから、身体が警告の意味で見せてくれたんだろうな。しゃきっとしろお前って。

このバイト先には敬愛してやまないお方がいらっしゃるから、余計ね。

恥ずかしい姿見せらんないよね。お顔に泥を塗りたくないよね。

 

どうりで、筋肉少女帯の「サーチライト」が頭から離れなかったわけだ。

筋少の名曲中の名曲。この歌はいつも内省を促してくれるのです。

 

「やあ!詩人 最近なんだかマトモだなあ? 
やあ!詩人 随分普通のこと言うなあ? 
やあ!詩人 奇をてらったりしないのかい? 
やあ!詩人 世の中すねてる歳でもないかい?」

「やあ!詩人 最近なんだかマトモだなあ? 
やあ!詩人 なんか反省しちゃったかい? 
やあ!詩人 中也のパクリはもうやめたのかい? 
やあ!詩人 今度の芸風 ああ、ボランティアかい?」

「なんか賞でも欲しいのかい? 
あんた何様のつもりだい? 
サーチライトのつもりかい?」

 

きっと、ほとんどの人が身につまされるような歌詞だと思う。

自分はここにいるよ、こんなことができるよ、って必死にアピールしないと自分を保っていられないんだ。ちょっと前まではそんなんだった。

今もそうじゃないとは言い切れないけど、少なくともそれを恥ずかしいと思えるようにはなった。前は気付いてすらいなかった。そんな自分を誇りにさえ思っていた。

「僕の事は忘れてあげてくださいね」

これも歌詞。本当にそう思う。あの頃の自分なんて忘れてほしい。

 

ただ淡々と、いや別に泥臭くったっていいんだけど、やるべきことをやっていれば、わかってくれる人はわかってくれる。有名になることへの憧れがないわけではないけど、それより守りたいものができた。

内省的になりすぎるのもあまりよくないけど、私は小賢しくも自分の過ちを飾り立てようとしてしまうので、注意深く、自分の心を見つめておかないといけない。

そして、内省で浄罪された気になってはいけない。行動しなければならない。

 

もう、用意されたレールの上をあたりさわりなく進んでいればいい時は終わった。終わってしまった。これからは自分で、選んでいかなければならない。それで捨て去られたもの達も、「今の私」を形成することに変わりはない。

「忘れてほしい私」だって、今の私の血肉であるのだ。そう考えると、もうちょい強く生きていけそうな気が、んん…せんでもない。

しゃんとしよう。