続・戦場のメリークリスマス

フィギュアスケート選手の安藤美姫さんが、亡くなったお父さんのために「戦場のメリークリスマス」で演技したことがあります。

物憂げで、揺れ動く感情がちらつく、その姿が印象的だったので、私の中ではこの曲は、しめやかな場での心のBGMになっています。

 

3.11の日も、頭の中で鳴り響くのはこの音楽。

もう3年というべきか、まだ3年というべきか…

 

兵庫県に生まれた者として、1.17の震災も同様に思い浮かべられます。といっても、その時はまだ2、3歳でしたが。それでも震災を経験した大人達からの話は小さい頃から聞かされていました。

神戸の抱える経済的損失等はまだまだ回復しきっていないでしょうが、街は活気づいています。山の上にある大学から見晴らせる、青空も星空も、海も街も、4年間ずっと私の心を支えてきてくれました。

 

それでも、まだ、終わってないです。終わらないです。

私の敬愛するある御人、その人のことをもっとたくさん知りたいと思った時に、ふと、その奥さんや義理のご家族のことは耳にするけれども、ご実家のお話はきかないなあと思いまして。

あ、この人神戸生まれだったな。もしかしたら、震災でご両親を亡くされたのかもしれない。年齢でいうと高校生、受験生だっただろうか。K高校出身だっけ。もしかして、私が高校生の時の国語教師が言っていた、震災とセンター試験が重なり、二次試験を控え、大切な誰かを失った悲しみさめやらない中、ボランティアにいそしんだ神戸の学生の1人だったのだろうか、ああ、

 

…などと考えていると、やりきれない思いになりました。

いや、これは私の妄想に過ぎないんですけど、いつも飄々としたその人も、そういうものを抱えていてもおかしくない。その人じゃなくても、別の誰かがこういう事情を抱えている。悲しみがありふれていることが、今だっていつもすぐそばにあるのが、やりきれない。

 

3.11は、1.17より、設備や知識等の進歩はあった、のかな。あったんだといいな。

津波とか、原発とか、新たな事情が出てきたわけだけども。

具体的な援助ができるほど、胆力や財力はないけど、忘れない、決して忘れない。

 

大学で出会った、長崎出身の友人に言われて、衝撃を受けた言葉があるんです。

「広島や長崎の子達は、原爆の犠牲者がどれだけいたか、答えられる。みんなは?答えられないよね。そういうことなんだ。」

こういう場合は、無知は罪、といえるのかもしれません。知ること。目を背けないこと。忘れないこと。二度と繰り返さないこと。やらなければいけない、と決意を新たにしました。