「僕のことは忘れてあげてくださいね!」
夢を見ました。バイト先である楽譜屋さんでのできごと。
私があるミスをしました。でもみなさん叱らない。おつかれさんと送り出してくれる。なまあたたかい。
ああ、現実にありそうな一場面。
そこの人はみんなやさしい。人に対する余裕がある。でもだからこそ、自分で自分の過ちを見つめなければならない。
最近、自堕落な生活を送っていたから、身体が警告の意味で見せてくれたんだろうな。しゃきっとしろお前って。
このバイト先には敬愛してやまないお方がいらっしゃるから、余計ね。
恥ずかしい姿見せらんないよね。お顔に泥を塗りたくないよね。
どうりで、筋肉少女帯の「サーチライト」が頭から離れなかったわけだ。
筋少の名曲中の名曲。この歌はいつも内省を促してくれるのです。
「やあ!詩人 最近なんだかマトモだなあ?
やあ!詩人 随分普通のこと言うなあ?
やあ!詩人 奇をてらったりしないのかい?
やあ!詩人 世の中すねてる歳でもないかい?」
「やあ!詩人 最近なんだかマトモだなあ?
やあ!詩人 なんか反省しちゃったかい?
やあ!詩人 中也のパクリはもうやめたのかい?
やあ!詩人 今度の芸風 ああ、ボランティアかい?」
「なんか賞でも欲しいのかい?
あんた何様のつもりだい?
サーチライトのつもりかい?」
きっと、ほとんどの人が身につまされるような歌詞だと思う。
自分はここにいるよ、こんなことができるよ、って必死にアピールしないと自分を保っていられないんだ。ちょっと前まではそんなんだった。
今もそうじゃないとは言い切れないけど、少なくともそれを恥ずかしいと思えるようにはなった。前は気付いてすらいなかった。そんな自分を誇りにさえ思っていた。
「僕の事は忘れてあげてくださいね」
これも歌詞。本当にそう思う。あの頃の自分なんて忘れてほしい。
ただ淡々と、いや別に泥臭くったっていいんだけど、やるべきことをやっていれば、わかってくれる人はわかってくれる。有名になることへの憧れがないわけではないけど、それより守りたいものができた。
内省的になりすぎるのもあまりよくないけど、私は小賢しくも自分の過ちを飾り立てようとしてしまうので、注意深く、自分の心を見つめておかないといけない。
そして、内省で浄罪された気になってはいけない。行動しなければならない。
もう、用意されたレールの上をあたりさわりなく進んでいればいい時は終わった。終わってしまった。これからは自分で、選んでいかなければならない。それで捨て去られたもの達も、「今の私」を形成することに変わりはない。
「忘れてほしい私」だって、今の私の血肉であるのだ。そう考えると、もうちょい強く生きていけそうな気が、んん…せんでもない。
しゃんとしよう。